仏誌ル・モンドでは「新世代育つ」と3人の人質に賞賛の言葉をかけていますが、自己犠牲というもので他人を幸せにはできないと
私は思うので、この「犠牲的精神」という事柄にたいしては
コメントを控えたいと思う。
たしかに、ボランティア内容が人に迷惑がかかるかも知れないリスクを冒してまで行うだけの価値のあるものであったとしても、可能な限り自分の限界内でやらなければいけないことですし、出来ないことをムリしてやるのはボランティアの定義を外れると思うんです。さらに彼らが不測の事態を想定して救出などの「バックアップ体制」をきちんととった上での行動をした上で今回のように人質に取られたというのなら私はここまで憤りを感じないのだが。プロ市民などと騒がれている彼らであるが、その点については読みが甘かったのではないだろうか。ダイビングと登山とボランティア(ましてや戦闘地域ではないにせよ無法地帯であることにはかわりがない)はバックアップ体制がしっかり確立されていないと自分の命にかかわる重大な事故につながる。
彼らのボランティア活動やNGOメンバーとしての活動については
私も諸所でボランティアやNPOメンバーとして活動をしてきたなかでそのご苦労をねぎらいたいくらいでもある心持なのではありますが。行動を起こすことはすばらしい。しかしだ。
今回の事象ではなんら、彼らが解放までにしたであろう、犯人グループへのネゴシエーション(結果として犯人がリマ症候群になってあのような声明をしたと私は読んだが…。や、解放までにいたる種々のセルフレスキューの過程が“まったく”見えてこないことがとても気になる。また、マスコミの過剰報道により相対的に影に隠されてしまって、政府(外務省…もしかすると当事者と大使館関係者と相沢副大臣、中東アフリカ局の局長)しか知らない真実があったのではないかと、そして人質のうちでそれを見聞きし知ってしまった人が政府高官から(外務省のアンマン付け一等書記官や大使から)恫喝に近いような口封じをされたのではないかとのうがった見方をできなくもない。
個人としては信じたくはないが「自分から誘拐された」といってもあまりにも情報が少ないため判断がつかない。
人は平気で嘘をつく事が出来るが、それはあくまで自分の責任が及ぶ範囲でのみである。この言い知れぬ恐怖と彼らは生涯戦わねばならないのだ。彼らがPTSDになってしまったのもうなづける。
PTSDにはなっていないにしても、自身の立場が「患者の家族」から「患者自身」であったことに気づいたのは間違いない心境だと思う。
(リマ症候群:「ストックホルム症候群」の反対の事象)
自己責任論を振り回す政府ならびにマスコミの動きはなにか隠蔽したい事実があるようにしか思えない。どうせ「時間がたてば忘れるさ」という人をなめきった対応のウラになにがあるのだろうか。政治家たちよ、自己責任を云々するなら自分で年金を払ってからにしてください。それに江角マキコがいくらギャラをもらおうとそれは「労働の対価」なのでありあなた方が云々するべき性質のことではないのではありませんか?
私は思うので、この「犠牲的精神」という事柄にたいしては
コメントを控えたいと思う。
たしかに、ボランティア内容が人に迷惑がかかるかも知れないリスクを冒してまで行うだけの価値のあるものであったとしても、可能な限り自分の限界内でやらなければいけないことですし、出来ないことをムリしてやるのはボランティアの定義を外れると思うんです。さらに彼らが不測の事態を想定して救出などの「バックアップ体制」をきちんととった上での行動をした上で今回のように人質に取られたというのなら私はここまで憤りを感じないのだが。プロ市民などと騒がれている彼らであるが、その点については読みが甘かったのではないだろうか。ダイビングと登山とボランティア(ましてや戦闘地域ではないにせよ無法地帯であることにはかわりがない)はバックアップ体制がしっかり確立されていないと自分の命にかかわる重大な事故につながる。
彼らのボランティア活動やNGOメンバーとしての活動については
私も諸所でボランティアやNPOメンバーとして活動をしてきたなかでそのご苦労をねぎらいたいくらいでもある心持なのではありますが。行動を起こすことはすばらしい。しかしだ。
今回の事象ではなんら、彼らが解放までにしたであろう、犯人グループへのネゴシエーション(結果として犯人がリマ症候群になってあのような声明をしたと私は読んだが…。や、解放までにいたる種々のセルフレスキューの過程が“まったく”見えてこないことがとても気になる。また、マスコミの過剰報道により相対的に影に隠されてしまって、政府(外務省…もしかすると当事者と大使館関係者と相沢副大臣、中東アフリカ局の局長)しか知らない真実があったのではないかと、そして人質のうちでそれを見聞きし知ってしまった人が政府高官から(外務省のアンマン付け一等書記官や大使から)恫喝に近いような口封じをされたのではないかとのうがった見方をできなくもない。
個人としては信じたくはないが「自分から誘拐された」といってもあまりにも情報が少ないため判断がつかない。
人は平気で嘘をつく事が出来るが、それはあくまで自分の責任が及ぶ範囲でのみである。この言い知れぬ恐怖と彼らは生涯戦わねばならないのだ。彼らがPTSDになってしまったのもうなづける。
PTSDにはなっていないにしても、自身の立場が「患者の家族」から「患者自身」であったことに気づいたのは間違いない心境だと思う。
(リマ症候群:「ストックホルム症候群」の反対の事象)
自己責任論を振り回す政府ならびにマスコミの動きはなにか隠蔽したい事実があるようにしか思えない。どうせ「時間がたてば忘れるさ」という人をなめきった対応のウラになにがあるのだろうか。政治家たちよ、自己責任を云々するなら自分で年金を払ってからにしてください。それに江角マキコがいくらギャラをもらおうとそれは「労働の対価」なのでありあなた方が云々するべき性質のことではないのではありませんか?
千葉マリアが幼児期の性的虐待を告白 [日刊スポーツ]
2004年4月21日 時事ニュース
04月21日付 日刊スポーツの報道「千葉マリアが幼児期の性的虐待を告白」へのコメント:
私の身近でもアブースされていたひとがいるので、決して
「幼児期の性的虐待」というのは私にとって、ひとごとでは
すまされないもんだいだ。心の傷をいやしてほしいと切に願わずにはいられない。
勇気があるひとだと改めて思った。
私の身近でもアブースされていたひとがいるので、決して
「幼児期の性的虐待」というのは私にとって、ひとごとでは
すまされないもんだいだ。心の傷をいやしてほしいと切に願わずにはいられない。
勇気があるひとだと改めて思った。